「由利海岸波除石垣」が歴史文化財産百選に選定
コンテンツ番号:1497
更新日:
未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選定されました
「由利海岸波除石垣」は、にかほ市金浦飛地区から仁賀保芹田地区にまたがる江戸時代に築造された石垣で、本荘藩の助成のもとで築造され、本荘藩二万石にちなんで地元では「万石堤(まんごくつつみ)」と呼ばれてきました。
築造の目的は、日本海の波浪から海岸を保全するとともに、波浪や強風による塩害から農地、農作物を守り、北国街道の決壊防止と風波を防ぐためで、自然石を積み上げて築造されました。
この歴史ある石垣について、国(文化庁)では、近世における海岸部の保全や農地開発の歴史において類例のない貴重な土木資産として、平成九年九月に国指定史跡に指定しています。
平成18年2月17日、農林水産省では、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に「由利海岸波除石垣」を選定し、同2月22日に認定証を交付しました。
これを契機に、魅力にあふれた漁村と都市との交流促進が期待されます。
歴史資料
「波除石垣」と「塩霧引き」
波除石垣
旧仁賀保町から旧金浦町の海岸に打ちつける大波は大変なもので、しぶきとなって田地や住居に打ちつけます。江戸時代に入ってから、高波としぶきが、田地を襲うため、人々は収穫に甚大な被害を受けるのを防ごうと考えました。この地域では、このしぶきの事を「塩霧(しょぎり)」と呼んで、海浜部の自然石を積み上げ、「波除石垣」を築いて防いだとされます。
この石垣に波が当たっても、波が吸い込まれて「塩霧」の発生は無かったといわれます。また、波が石垣を越えても、スキ間からサッと水が引きます。
塩霧引き
当時、他の地区と違って芹田村の年貢に、「塩霧引き」がありました。「塩霧引き」と言うのは年貢米の軽減のことで、荒磯の海岸ならではの珍しいものでした。寛政三年(1791)・天保四年(1833)の被害が大きかったようで、塩霧(波浪による波しぶき)でおこる塩害から稲作を守るため、延々と波除石垣を構築したのですが、これを越えて被害に遭っています。
天明二年の願い書
由利海岸波除石垣の築造年代を表すのが「天明二年の願い書」。天明二年(1782)当時、海岸にせまる飛村の田地が大波におそわれ、非常に大きな被害を受けていた。そのような被害防止のため、波除石垣の修理をしたいから、藩の助成米をいただきたいという願い書。修理の助成願いであることから、少なくとも、天明二年以前の構築であったことが推定できます。このほか、文化七年(1810)、嘉永二年(1849)にも同様の願い書があります。
- 天明二年の「石垣普請願い書」(詳しくは下記ダウンロードファイルをご覧下さい)
現在の石垣
にかほ市 金浦飛地区の石垣
にかほ市 仁賀保芹田地区の石垣
参考資料:にかほ市 資料より
- 仁賀保町史(仁賀保町教育委員会 平成17年2月31日発行)
- 金浦町史(金浦町 平成2年12月1日発行)
※記事作成年月:平成18年3月
取材編集:秋田県由利地域振興局農林部農村整備課
〒015-8515 秋田県由利本荘市水林366