赤田の大仏さま
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南に鳥海山を望み、日本海から約10kmほど山合いに向かった所に本荘市赤田地区はあります。国道105号線沿い黒瀬地区から東へ田んぼを眺めながら沢部の道路を入って行くと、だんだん両脇の山が近づいてきます。(現在は由利本荘市赤田地区)
区画整理された田んぼは、県で実施していた『内越地区 担い手育成基盤整備事業』により造られた大きな田んぼです。地元の農家のみんなが、農作業機械の大型化などによる営農コストの低減、作業の効率化などを目指して計画した事業です。
赤田の大仏さまは、長谷寺(ちょうこくじ)というお寺にある大仏で日本三大観音と云われる金色に輝く高さ9.1mの巨大な像です。同寺の開山是山大和尚禅師が天明6年に安置しました。
大仏殿等の工事は当時としても希にみる大工事であったと云われており、現在行われている、ほ場整備工事もひけをとらない大工事です。共に地域を良くしようとする地域の人々の熱意を感じる大事業です。
大仏殿は明治21年に焼失しましたが同26年に佐々木藤吉翁らにより再建されました。毎年8月22日には珍しい神仏混こうの大仏祭りが行われます。
市道を挟んで左右に神社と寺が位置し、赤い橋のある道路により両者は結ばれています。祭り前日に寺の住職と祭り役員が神社にお参りしに行きます。祭り当日は住職をはじめ地元の人たちが神社に集まり手を合わせて拝んだ後、獅子舞、ひょっとこ踊り、旗持ちなどを先頭に長い行列を作り賑やかにお寺に向かいます。
赤田の大仏さま。今から230年以上前の安永4年、岩城藩時代に病人に薬を与えたり、竜を使って慈雨を降らせるなど奇跡を起こし、藩主から信頼を得た是山大和尚は松ヶ崎から赤田の地に移り住んだ。その後、奈良県にある曹洞宗本山長谷寺の本尊と同じ木で作られた小仏を胎蔵した大仏と本堂が造られました。しかし、明治21年に火災によりすべて焼失してしまいます。現在の大仏は明治25年に再建されたものです。藩の武運長久と領内の五穀豊穣の祈願所として、いつも参詣者が絶えなかったと云います。
- 取材・編集:由利地域振興局農林部農村整備課 電話 0184-22-7554
- 作成年月 :(平成15年2月)
- 取材協力 :秋田県本荘市赤田 曹洞宗正法山長谷寺 住職 浅田高明氏
- 参考図書 :長谷寺案内パンフレット、新あきた風土記中央編秋田魁新報社刊