《次代の女性リーダーへエール》
 ~自分自身が輝く部分を見つけ出すきっかけづくりとして、色々なことに挑戦しましょう!~

 令和3年度男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰を受賞された石垣一子氏と陶山さなえ理事が、石垣氏のこれまでの取組を振り返りながら、リーダーとしての心がけや次代の女性リーダーへのエールについて対談を行いました。

【石垣一子氏プロフィール】
(現職)
 〇陽気な母さんの店株式会社 代表取締役社長
 〇大館市まるごと体験推進協議会 会長
(功績概要)
 石垣氏は、‟女性起業家”という言葉がない頃から様々な活動を行ってきており、その活動内容は関係者の多くの注目を浴び、特に女性農業者が農業振興に限らず、地域振興活動に関わり成果を挙げた功績は大きい。
 また、農産物直売所を設立、法人化までを行うとともに、年間販売額2億円を超える企業に成長させた強いリーダーシップと組織マネジメント力は、県内の女性農業士のトップランナーであり、ロールモデルとなっている。

令和3年度男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣賞の受賞について
 

 

日時:令和3年7月27日(火)
場所:県庁第二庁舎8階 特別会議室

 

対談の内容


【陶山理事】
 この度は、令和3年度男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰受賞おめでとうございます。

【石垣氏】
 ありがとうございます。

これまで大変だったこと、最も印象に残ることについて

【陶山理事】
 今回受賞理由とされた功績の中で、私が最も関心を持ったのが‟女性の起業家”ということで、まだ世間であまり言われていない時代から、様々な活動をされていて、女性が年間2億円を稼ぐという取組をされたことは本当に素晴らしいことだと思いました。
 その裏には大変なご苦労があったと思うんですけれども、これまで大変だったこと、最も印象に残ることについてお聞かせいただけますでしょうか。

【石垣氏】
 農家の嫁として農家に嫁ぎますと、生産に関わる仕事をしていないと遊んでいると言われていたんです。うちで、家事をして、子育てをしていても、‟うちにおいて遊ばせている”と言われ、畑に行って何らかの農作業をしないと働いているとは認められない。一方、例えば企業に働いているお嫁さんは、‟給料をもらってくる”と言われます。そこで、‟いや、おかしいな”と、家族の健康管理や最大の財産である子どもの子育てが一番の仕事じゃないかと思うようになっていたけれども、先ずは遊んでいると言われないように、畑に出て農作業をしていました。やればやるほど、心の中にモヤモヤしたものが残り組織活動をしました。その時に家族協定というものを結んで、お嫁さんも、「家族の健康管理部門」という部門で働くということにしました。
 生きていくために、起業活動と言わないまでも、自分が経営を任された「そばの会」を立ち上げ、お祖父ちゃんから加工所を一軒借りて運営するということが大きな一歩であったと思います。そこで、お父さんやお祖母ちゃんが手伝ってくれたら給料を払うという意識が直売活動に繋がっていったように思います。
 当時は、後継者にも(農家に)残ってくれと言いづらいほど、農業経営が厳しくて、農業で給料が払えるという経営をしているところは少なかったです。そのため、農業で給料を支払えるような経営をするためにはどうしたらいいかと考えていました。お父さん達は、農協の指導に基づいて、良い物を作ることに一生懸命でした。消費者である方々が何を期待しているのかということを、生産者であるお父さん達は考えている暇がなかったので、私たちが、こんなに頑張っているお父さん達を応援できるのは、ここの部分ではないかと考えるようになりました。
 そこで、消費者が何を期待しているかということを知った上で物を作ることや、農業で給料を支払えるようにするためには、やはり直売所ではないかと考え、直売所を立ち上げようと取り組みました。
 その時に、農家の母さん達が、公の場で人に話をするということは非常に大変だと感じました。畑でお父さんと話をするということが精一杯でしたので、公の場で(自分達の想いを)人に伝えるということは非常に勇気のいることで、上手に話せることはできませんでした。
 それを、県の農業改良普及員の方々が、‟じゃあ、農家の母さん達の想いを公の場で話をしてみよう”ということで、ワークショップを開催していただき、ただ話すのではなく、どういう表現をすれば自分達の想いを伝えることができるのか、どんな社会にしていきたいか、どんな環境づくりをしたいかなどということを学びました。こうしたことを踏まえて、自分達の実現したいものは、直売活動であることを再確認し、4年間かけて自分達の想いを形にし、100名の女性の組織をつくりました。
 直売所の立ち上げに当たり、県や国でも支援をしてくれるので、大館市に農家の母さん達の想いを伝えて支援をお願いしたところ、7名の(男性の市議会議員の)反対意見があり、支援を受けることができませんでしたが、どんな形でも、一歩でも前に進みたかったので、県の農業改良普及員の方々などの助言などもいただきながら、店舗をリース契約という形で借りて、直売所を始めることにしました。
 当時を振り返ると、1人2万円の出資金も集めていて、これからみんなで勉強していこうと意気込んでいたので、大館市からの公的資金が得られないことが決定したとき、みんなで泣きました。そして、集めた出資金をどうやって返していけばいいのか途方にくれました。もう涙、涙で、どうしようもないくらい辛かったです。
 でも、お金を出してくれたみんなに話をしたら、「ここで諦めたらダメだ」と、「役員の人達が引っ張ってくれるのであればついていく」とみんなが言ってくれたので、月43万円のリース料を払っても、一歩進まなければ、女性がいろんな想いを持ったときに、‟(女性は)高いハードルを出せば直ぐに諦める”と思われたくないという想いで、決心して一歩進みました。そのことが、一番印象に残っています。
 辛いことがあっても歯を食いしばって頑張ろうという想いで、最初の一年は過ごしました。風邪をひくいとまもなかったです。男性は、会議に参加し、その想いが実現できなくても、できなかった理由をいろいろ並べることができる。女性は一歩踏み出して、それができなかったら、「ほら、やらねばいがったべ」などと、非難の矢面に立たされることが多いので、決して失敗してはならないという緊張感がありました。最初の一年目は、どうやって家庭で過ごしていたのか思い出せないくらいです。

 

「陽気な母さんの店」を法人化させた原動力

【陶山理事】
 大変な一年でいらっしゃたんですね。
 いろいろな記事から、まず33歳の時に孤立している農家のお嫁さんのネットワークをつくられた「家業でなく職業にするんだ」という、今の石垣さんの最初の一歩なのかなと拝見しておりました。
 その時代、家事や子育ては無報酬でするもので、それにプラスアルファで何かをしなければ、女性として仕事をしていると認められない。何かおかしいなと感じたりする人達や農家で孤立している女性たちと、ネットワークをつくり協力し合いながら、今回の‟陽気な母さんの店”を立ち上げられたきっかけに繋がっていると感じています。
 男性の場合は失敗しても許されるけれども、女性の場合は、‟そんなことをやろうとしたからだ”という、そもそもの発想を否定されるという想像以上に厳しい中で後ろに下がることなく、常に前進されたという素晴らしさに、今お伺いして涙が出そうになるくらい感動しております。
 更に発展させるため、100人の賛同者に対して7人の男性が反対する中、‟陽気な母さんの店”を法人化された原動力は何だったんでしょうか。その当時周りからどのような反応だったのかお聞かせいただけますか。

【石垣氏】
 平成13年にオープンした当時はみなし法人ですので、ただの集まりでした。法人化することのメリットとデメリットについて、ずっと勉強しておりました。
 当時、県で女性の起業活動に関する様々な勉強会を開催しておりましたので、その勉強会に参加していました。また、農家の母さん達が頑張るという姿勢があれば、県ではいろんな支援がありました。
 法人化することのメリットも学びましたが、農家の母さん達だけで会社経営するのは難しいのではないかとも考えていました。最初は、自分達の気持ちがあればいつまでも頑張れると思っていたのですが、年を重ねるにあたり、いつまでも元気で働けるというわけではない、店の力がなくなっていくことに気づきました。
 15年間の月43万円の建物のリース契約が終了するにあたり、どうにかこの月43万円のリース料を減らすことができないものか、リースではなく建物の買い取りができないかということを考えました。その中で一番ネックになったのは、やはり会員の高齢化により会員が減っていくことでした。
 15年間も経営していると、‟大館に行くと「陽気な母さんの店」がある”と、一つのブランドとして定着してきました。そのような中で世代交代の準備はしてきていなかった、また女性だけで構成されていたため、若い男性が入っていなかったということがありました。
 男女平等といいながら、私達が怖がって男性を入れてこなかったのではないか、もっと強い組織にしたいということを会員のみんなで確認しあって話し合いました。
 まもなく、私たちはこの店を去って行く年代になるであろう。しかし、ここがずっと残っていく店であって欲しいから、強い組織にしたいということが総会の課題となり、では強い組織にするにはどうしたらいいかということをみんなで考えました。
 収益をあげている店なので、ともすれば自分自身の農産物が売れていればそれでよく、新しい人を入れるという意識にまで向かないようになっていれば会社としては成り立たなくなると考えました。
 もっといろんな方が入りやすい組織、もっと世代交代しやすい組織にするとともに、いろんな農家の方々の商品を紹介し、消費者の方々には、いつでも選択肢がふんだんにある商品の中から選んで購入していただきたい。そのためには、若い後継者の方々に多く会員になっていただき、いつでもふんだんに商品があり選ばれるという、強く勢いのある店に変えていきたいと思い法人化に踏み切りました。そして法人化をきっかけに、男性にも入っていただきました。

 

経営者としての発想に更に磨きがかかったきっかけ

【陶山理事】
 今お話を伺うと、何か一つ困難にぶつかったときに、また違う方向のアプローチを考えられていますね。
 ‟女性だけでやりましょう”‟女性の力がこれだけ結集すると凄いんだ”というのを見せるという想いで始められたと思うんですけれども、今おっしゃるように、‟高齢化”、‟後継者づくり”、ここで女性ばかりになると、逆に組織が硬直化になってしまう。
 いわゆる‟多様化”、それから‟マーケティング”。
 お客さま・市場が、どのような物を望んでいらっしゃるのか考えて、お客さまのニーズに併せて‟お惣菜”であったり、地域に貢献するために新しいものを考えていく。多様性という点においては、新たに男性を入れたり、若い方に入っていただいたり。‟陽気な母さんの店”の持続的な成長を維持するための発想が、既に当時法人化しようと思われていたときには、おありだったんだということが素晴らしいと感じております。
 その発想に更に磨きがかかったというきっかけはあったんでしょうか。

【石垣氏】
 仕事に追われて勉強する機会はありませんでしたが、県で女性の登用ということで、県の審議会委員に任命していただき、女性の声を聴く場づくりをしてくださったんです。私でもよろしければということでお引き受けし、その一員として参加させていただき、沢山の素晴らしい方々と一緒に委員をやらせてもらって、その中からいろんな方々と出会う機会がありました。その中で学びを深めさせていただき、一つ階段があがると、そこから見える景色が少しずつ変わってきました。その変わった景色の中で、自分は何ができるかということを探していく、できない理由を探すのではなく、何かできないことはないかと探して進んできたような気がしています。

 

人脈づくりを進めていく上での心がけ

【陶山理事】
 ありがとうございます。
 県が、石垣様に少しでもお役に立てていたということを伺い、光栄でありがたく感じております。新しいことをするときに、行政はハードルが高いと感じることもあると思うのですが、行政に頼っていただいたことで、足りないところを行政の方でサポートさせていただきながら、今の石垣様があるということは、県の職員として、とても嬉しいお話をいただきありがたく思っております。
 億劫がらずに、いろんな方と出会って挑戦してみようと、そこからいろんなことを吸収して、それによってご自身が成長されたり、いろんな知識を習得・活用されてきたということでしょうか。
 人脈づくりというのは、そういう行動を起こすことによって、自分自身の認識していない才能に目覚め、今のように新しいことにチャレンジしていく原動力になるというところになると思います。
 当時はドキドキされたりとか、緊張されたりしたところもあったと思うんですけれども、それを更に進めていかれたときのお気持ち、心がけのようなものをお聞かせいただけますか。


【石垣氏】
 いろんな方と出会うことによって、こういう素晴らしい人がいるんだなと感動しますよね。
 今、理事さんが言われたように、何もない自分であったと思っていたのに、‟えっ、こんなことができるんだ” ‟あっ、こんなことが学べるんだ” ‟こんなことに挑戦できるんだ”と、自分を震わせる経験がとても楽しかったです。
 自分は体力だけは自信がありましたが、勉強は大嫌いで、読み、書き、そろばんは全然駄目でしたし、経営のことも全然わかりませんでした。
 例えば、自分の家の家計簿もつけられるかどうかの農家の母さんが、経営のことを学ぶために会計事務所の先生を呼んで勉強会を開催し、貸借対照表を読めるようになる。‟これは、お父さんに教えてあげなければならない。”と気づくだけでも、とてもワクワク、ドキドキしていました。それが楽しくて、経営が苦だとか、難儀だということは思わなくなりました。
 陽気な母さんの店も今年で21年目になりますが、楽しく、ワクワクすることばかりだったので、多くの方々に一緒にワクワク、ドキドキしてもらいたいと思っています。

【陶山理事】
 素敵ですね。その言葉は。

【石垣氏】
 そのことが、今一番心に残っています。
 私の家の屋号が‟助作”というので、若い時は、‟助作のねっちゃん”、もう少し年を重ねると‟助作の嫁”と呼ばれていました。なので、将来は‟助作の婆さん”とか呼ばれるものと思っていました。
 石垣家に嫁いで、お父さんにも‟おいっ”って呼ばれて、一子(かずこ)という名前を知ってもらっているはずなのに、名前で呼ばれることはないのかなと思っていました。今は笑い話ですが、その当時は本当にそんな風に思っていました。
 女性だから、それは全て我慢ということではなくて、女性として‟石垣一子っていたもんな”と思ってもらいたい。そんなに広くなくても、家族に、せめてお父さんにはそう認めてもらいたいと思って頑張ってきましたので、それ以上のことは何も望んでいなかったんです。
 このように表彰していただくとは思っていなかったので、表彰が決まってから、いろんな方々にお世話になって、いろんな方々が石垣一子のことを気に留めていてくださったんだなと。
 秋田県にも認めていただいて、今回推薦していただいた県の方々に感謝しており、本当にありがたいなと思っています。

 

リーダーとして心がけていることについて

【陶山理事】
 (石垣一子さんのことは)秋田県だけでなく、日本が認めております。
 夫(パートナー)に存在意義を認めてもらうために、それが原動力だったということで、石垣様のパートナーはとっても凄い方だと思っております。
 これまでにやったことがないことにチャレンジしてワクワクして、その一つひとつの成功体験を積み上げた21年間。
 21年間いつもワクワクしていたんですとおっしゃられましたが、継続していかれるということは、それは本当に大変なことだと思います。
 周りの方々への感謝だとか、周りの方に対して「自分の頑張りは皆さんのお陰です」と感じられる素敵な心持ちが、支えてくれる皆さんに伝わり石垣様を支えて、そのような方々が多くいらっしゃってワクワク仕事をされてきたのだと思います。
 最後に、社長業以外の様々な場面でもリーダーとして組織を牽引していらっしゃると思うのですが、リーダーとして特に必要とされる能力であったり、石垣様の方で心がけていらっしゃることをお聞かせいただけますでしょうか。

【石垣氏】
 特別何もないんです。自分自身がリーダーだとも思っていなくて、ただ人のまとめ役となれればと思っています。
 今、陽気な母さんの店は、私が引っ張っていくのではなく、私と一緒に株主になっている61名の農家の母さんが一人ひとり自分が経営しているんだと、役員任せという訳ではなくて、同じ想いや目標を持つことを心がけています。私の目標をみんなの目標にしなさいというのではなく、みんなで作った目標を大きく掲げて、私はその目標に到達するには、どうすればよいかという階段の登り方を考えればいいのではないかと。
 いろんな直売所の方々が視察に訪れますが、うちの株主である会員が皆同じ想いを持ってやっているというところは他にはないと思っています。これはうちの強みなのであるから、私は会員のみんなに、‟あなたたちのような素晴らしい会員を持っている人は、他にはない”と話しています。一人で何かをするのではなく、みんなの力を借りてみんなで何かをしようと常に思っております。
 若い人には、うちのためにとか、子どものためにとか、自分の力を発揮できない理由を考えるのではなく、子育てしながらも、介護しながらも自分でできる何かを探して役割を果たしていくべきではないかということを話しています。私もお祖母ちゃんの介護を17年間やりましたが、介護をしながらできること、こうありたい自分の目標があって、自分自身では難しい場合には、他の方に支えて欲しいということで助けてもらい、会員のみんなと連携しながら進めていくことがワクワクする。
 行政と連携することも大切。行政に何かをしてもらうんじゃなくて、私たちはこうしたいから、自分達ではここまでできるけれども、この次の頑張りはどうすればいいかということを教えてもらいたい、導いてもらいたいという想いで進んできております。
 私の思う後継者の方々に、早くバトンを渡したくて、説得しているところです。しっかり耳を立てて、目を開けて、いろんな人と出会って、いろんな方々の話を聞いて欲しいと思っています。

 

次代の女性リーダーに対するエール

【陶山理事】
 一番最初に、ワークショップで、自分自身の想いのたけを全部話をして、どうなりたいかということを話し合いしたんです、とおっしゃられたと思います。そこに全ての原点があるのかなと感じております。
 石垣さん一人ではなく、「陽気な母さんの店」のビジョンを、役員の方々となりたい姿について、意見交換の中でお作りになった。自分一人が頑張るのでなく、駄目なところはお互いに補完し、その力が他では絶対まねはできない組織のつながりや組織の強さに繋がっていると思います。
 まさに誰がリーダーということではなく、それぞれの方々の役割があって、それぞれが輝いて、一人ひとりがリーダーで、それを石垣様がまとめられているということをお伺いできたと思います。
 最後になりますが、次の世代の人達を育てなくてはならないとおっしゃられていたと思いますが、秋田県の‟次世代の女性起業家”がどんどん出てきてくれるように、今の若い方に、是非エールをお願いしたいと思います。

【石垣氏】
 ちょうど20年前位までは、秋田県は女性の起業活動で全国トップを走っていたんです。その頃の先輩達は、常にワクワクしながら、自分達の置かれた立場でしっかりした目標をたてて進んでいたと感じています。そこで起業という形で、あるものに付加価値をつけて、例えば、いぶりがっこであったり、漬物加工であったり、小さい規模ながらも全国トップクラスでありました。自分の置かれている立場で、女性だからこそ、自分自身が輝く部分を見つけ出すきっかけづくりとして、色んなことに挑戦して欲しいなと思っております。

【陶山理事】
 ありがとうございます。今、この記事を読んだ若い方達は、「昔の秋田の女性達はこうだったんだ。自分達はそのDNAを持っている。私も頑張ろう」と思ってくれると思います。
 本当に長時間になりましたが、お忙しい中お時間をいただきましてありがとうございました。私も大変勉強になりました。今回お伺いしたことをいろんなところでお話しする機会があると思いますので、石垣様のご経験を皆さんにも伝えていきたいと思っております。
 本当に今日はありがとうございました。

【石垣氏】
 ありがとうございました。