一日市盆踊(ひといちぼんおどり)

写真:一日市盆踊

 一日市盆踊は、八郎潟を中心とした男鹿南秋田地域で広く踊られている盆踊りのひとつである。これらが近世に八郎潟周辺の集落ごとで踊られていたことは、文化6(1809)年の菅江真澄「夷舎奴安装碑」(ひなのあそび)の内容から窺い知ることが出来る。
 一日市の集落は中世には成立していたと推定され、寛文年間(1661~1673年)には、羽州街道上の宿駅として整備された。さらに津軽藩の本陣が置かれるなど、集落が繁栄するとともに一日市盆踊も盛大になったと考えられる。
 現在の一日市盆踊は、8月18日から20日の3日間に、一日市上町大通りで踊られる。踊り場には、頭上に大型長方形の灯籠を、周囲には六角形の小型灯籠を据え、中心には櫓(やぐら)を組む。太鼓を据え付ける櫓は、神仏の依り代(よりしろ)となり、周囲の灯籠は踊り場の方固め(ほうがため)をあらわす。
 夕暮れになると、囃子方は寄せ太鼓を打ち鳴らす。踊り手は、内側を向いて大きな輪になりデンデンヅク、キタサカ、三勝(さんかつ)の3種を太鼓と笛の拍子にあわせ、仕舞太鼓が打ち鳴らされるまで繰り返し踊る。
 デンデンヅクは早い拍子にあわせて進み、両手を左右に払う所作がほとんどである。キタサカも同様に早い拍子で進むが、体をひねったり、両手を叩くなどの所作が加わる。三勝は、デンデンヅクやキタサカに比べ動作がゆっくりで、片方の足をあげて静止する所作が優雅である。
 デンデンヅクの由来については、諸説があり定かではないが、キタサカは寛政年間(1789~1801年)に越後方面から、日本海沿岸に広がった俄踊り(にわかおどり)を起源として、口説き(くどき)調の甚句(じんく)が変化し独特の曲調となったと推察される。
 「夷舎奴安装碑」によると、かつての踊りや振りは多種多様であったとされるが、その中で現在に伝わったのは三勝のみである。当時、歌詞がなかった三勝に、現在は歌詞があるが、ついた時期は定かでない。
 一日市盆踊の特徴に掛け歌と仮装があげられる。
 踊り手は、両側から踊りながら声や歌を掛けあう。集落内の男女間や近隣から参加した踊り手と、拍子にあわせて交歓を深めていくのである。
 一日市集落内では、仮装を「化ける」という。亡くなった人を慰めるため、その人に似せた姿で踊ったとされる。昭和初期には神官僧侶、力士、嫁入り、七福神、紳士、花魁等に化けたという記録がある。これらは鎮魂、示威、吉祥、聖性をあらわし、盆行事と田畑予祝を示している。
 一日市盆踊は、供養、念仏の要素を残す一方で、豊作祈念、慰安を主とした娯楽性の強い盆踊りである。また、デンデンヅクとキタサカは拍子が早く軽快で、手と足の振りとさばきを主とする。このような盆踊りは、県内にも他の地域には類例がなく独特である。
 八郎潟を囲む男鹿南秋田地域の盆踊りが、古い形を次第に失いつつある中で、一日市盆踊は、踊り場の方固め、掛け歌、仮装、三勝などを伝える、この地域の習俗を知るうえで貴重な文化財である。

参考文献

  • 小玉暁村 『秋田郷土芸術』 昭和9(1934)年4月
  • 菅江真澄 「夷舎奴安装碑」(ひなのあそび)文化6(1809)年7月13~20日のくだり 内田武志・宮本常一編 『菅江真澄全集』 第四巻 昭和48(1973)年 未来社
  • 八郎潟町教育委員会 「秋田県記録選択無形民俗文化財一日市盆踊り調査報告書」 平成17(2005)年3月