洲崎遺跡出土人魚木簡 (すざきいせきしゅつどにんぎょもっかん)
写真:洲崎遺跡出土人魚木簡
左:全体 中央:墨書き部分拡大
図:洲崎遺跡出土人魚木簡の実測図
実測図(黒:墨書き 赤:線刻)

 洲崎遺跡出土人魚木簡は、八郎潟残存湖、井川河口の左岸に所在する洲崎遺跡(すざきいせき:南秋田郡井川町浜井川字洲崎)の井戸跡(SE587)から出土した木簡で、長さ80.6cm、幅14.5cm、厚さ0.5cmの杉板片面に絵と文字の墨書き、線刻がある。
 絵は、板の上半部にあり、上に僧侶、その下に人魚が描かれている。僧侶は、袈裟に高下駄という姿で、両手を前にし長数珠を持っている。人魚は、人面魚身で2手2足を有し、顔と足を除く部分に鱗がある。手首や足首には縛られているような線があり、人魚の前には折敷(おしき)状の台に載った椀がある。
 文字は、絵の両側に書かれている。右側が「アラツタナヤ弖(テ)ウチ 弖ウチ(繰り返し符号)ニトテ候」、左側が「そわ可」と読める。
 線刻は、僧侶の右側にある文字様のものと、人魚の墨書きを覆うように格子状のものがあるが、読解を含めて詳細は不明である。
 洲崎遺跡は、市や宿、湊といった性格を併せ持つ大規模な集落跡である。平成10(1998)年に発掘調査が行われ、13世紀から16世紀後半まで営まれていたことが分かっている。遺跡は、2町(約218m)四方が堀で囲まれており、この堀に並行または直交する道路と溝で整備された区画内からは、多数の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)や井戸跡などが見つかっている。
 人魚木簡が出土した井戸跡は、遺跡の中央部やや北にある。この井戸跡は、切断した丸木舟を二つ向かい合わせに立てて井戸側(いどがわ)とし、楕円形の曲げ物を水溜(みずため)としている。人魚木簡は、ほぼ中央で折られた形で、井戸側と水溜の隙間に挟まっていた。年輪年代測定結果、井戸跡に使用された縦板が、西暦1286年に伐採されたことが分かっており、井戸構築の際に挟み込まれた本木簡は、これを大きく外れない鎌倉時代に作られたと考えられる。
 洲崎遺跡出土人魚木簡については、多様な推論が可能で、解釈は定まっていないものの、津軽地方や秋田地方沿岸に出現した人魚とこれに対する人々の対応の様子について描かれた資料として、遺跡から出土した国内唯一のものである。また、非日常的なもの(人魚)に対する行為から、中世の人々の観念の一端がうかがえる資料としても貴重である。

参考文献

秋田県教育委員会 『秋田県文化財調査報告書第303集 洲崎遺跡 -県営ほ場整備事業(浜井川地区)に係る埋蔵文化財発掘調査報告書-』 平成12(2000)年3月

高橋学 「井川町洲崎遺跡とは何か」 秋田県埋蔵文化財センター 『秋田県埋蔵文化財センター研究紀要第16号』 平成14(2002)年3月