令和6年・2024年の年明けは、長く記憶に残る年になることでしょう。
 年末は少し早く雪模様となり、秋田市内などは一斉除雪がなされたものの、今年の元日は暖冬との長期予報どおり、雪もなく穏やかななかで迎えました。
 例年のように玄関先の雪寄せもなく、夕方には少し早めに好きな酒を口に出来るなと思いながら正月の分厚い新聞に目を通していたら、長周期の弱い揺れが感じられ、「元日早々に地震か、この揺れだと近くはないな、どこだろう。大きな地震だとテレビに出るな。」とテレビに目を向け続けました。
 間もなく、画面には能登半島沖が震源とのテロップが出て、「今すぐ高い所に避難を」という女性アナウンサーの叫びにも近い緊迫した声、同時に津波警報・注意報が発せられ、本県も注意報とのことで、直ちに県も危機管理体制となり、私の緊急携帯には初動体制の職員招集のメールが入りました。
 当然に、私もいつでも登庁出来るよう準備をし始めましたが、被害は確認されないというメールが入り、まずはホッとしました。しかし、次は現地の被害状況に対応する支援体制を急ぐ必要があります。
 間もなく東日本大震災で経験豊富な全国知事会長の村井宮城県知事から、支援体制の準備を整えるよう依頼のメールが入りました。
 県の防災担当と現地の状況把握や政府からの各種支援体制の通知などに関しメールのやりとりをしながらテレビを見続けたところ、輪島市の火災の状況や倒壊したビルの画面など、次第に深刻な被害の状況が明らかになってきました。
 さらに、2日には羽田空港での救援出動中の海上保安庁の航空機と民間機の衝突事故が発生し、今年の正月は大波乱の幕開けとなりました。
 その後、本県からも医療チームや福祉施設支援チーム、被害状況把握などの人的支援や各種の物資支援などを続けていますが、現地の状況は想像以上に深刻で、犠牲になられた方々のご冥福と被災者の生活安定、1日も早い復旧・復興を願うばかりです。
 よく地震の確率は、30年間に70%とか、10%とかと表され、一見70より10の方が低いから当分安心だと思われるかもしれませんが、実は数字の錯覚なのです。
 10%の1%が30年間のなかの明日かも知れないのです。
 精度の高い予報ができる風水害でも被害を防ぐことが出来ないのは、まさに昨年夏の県内各地で発生した想像以上の豪雨被害により経験済みです。
 地震の長期確率はある程度可能ですが、発生時期については現在の科学では予知は困難で、今回の能登半島地震は他人事ではありません。
 まさにボーイスカウトのモットーである「備えよ常に」ではないでしょうか。
 

知事コラム「佐竹敬久のさぁ、やるど!」のバックナンバーはこちらです。

このページに関するお問い合わせ

総務部 広報広聴課
TEL:018-860-1076
FAX:018-860-1072
E-mail:joukai@pref.akta.lg.jp