「吉沢清永日記」(吉沢148)
コンテンツ番号:83932
更新日:
吉沢清永は97石の横手給人である。横手給人は、大きく分けて、秋田藩上級藩士である戸村家と小鷹狩家(幕末期に向から改姓)の軍事指揮下にあり、吉沢家は戸村家の組下給人だった。慶応4年(1868)8月の秋田戊辰戦争時、横手城で指揮を執っていた奥羽鎮撫副総督・沢為量は大曲方面へ退却し、横手給人は、沢副総督に従った小鷹狩組下と退却を拒み籠城戦を行った戸村組下に分かれた。吉沢清永の日記には、籠城戦前日の城内の様子が記されている。
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吉沢清永は97石の横手給人である。横手給人は、大きく分けて、秋田藩上級藩士である戸村家と小鷹狩家(幕末期に向から改姓)の軍事指揮下にあり、吉沢家は戸村家の組下給人だった。慶応4年(1868)8月の秋田戊辰戦争時、横手城で指揮を執っていた奥羽鎮撫副総督・沢為量は大曲方面へ退却し、横手給人は、沢副総督に従った小鷹狩組下と退却を拒み籠城戦を行った戸村組下に分かれた。吉沢清永の日記には、籠城戦前日の城内の様子が記されている。