後半展示_(コーナー⑦)№32「赤穂義士事実聞書写」(岡312)
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「赤穂義士事実聞書写」(岡312)
元禄14年(1701)3月14日、江戸城松之大廊下で赤穂藩主・浅野内匠頭が、高家・吉良上野介を切りつけたことで、浅野内匠頭は切腹、藩は改易となる。元禄15年12月14日、赤穂浪士47名が吉良邸に侵入し上野介を討ち取り、浪士達は幕府の命により、預かり先の大名屋敷で切腹した。この文書には、浪士の討ち入りや切腹の様子が記されている。事件から200年後に、この文書が作成されていることから、秋田藩士たちの赤穂事件への関心の高さが窺われる。