「権現様御判物写」(AS317-006-2-2)

[後007]AS317-6-2-2_権現様御判物写

 常陸国(現茨城県)54万石の大名だった佐竹義宣は、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで中立の立場をとった。徳川家康は、この御判物の本紙をもって「出羽国之内、秋田・仙北両所」への国替えを命じた。御判物には、移封(いほう)先の場所と知行高が示されていないことから、佐竹氏の国替えは懲罰的な意味合いを持っている。