「武家諸法度」(AS322.5-4)

[後005]AS322.5-4_武家諸法度

 江戸幕府の基本法規の一つ。慶長20年・元和元年(1615)豊臣氏を滅ぼした直後、徳川家康が以心崇伝らに命じて草案を作らせ、7月7日、将軍秀忠のいた伏見城に諸大名を集め、崇伝に朗読させて公布したのが最初。全13か条からなり、各条には注釈がついている。興味深いのは第2条「群飲佚游ヲ制スヘキ事」であり、3代将軍・徳川家光による寛永12年(1635)の「武家諸法度」以降、この趣旨の法令は出されていない。