『岡本元朝日記』バックナンバー

2021年03月26日 | コンテンツ番号 41327

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第1巻

 第1巻は、岡本元朝が秋田藩の相手番をつとめた元禄8年(1695)正月から同14年(1701)8月までを収録しています。元朝は元禄10年(1697)に、藩の修史事業の統括を命じられます。修史事業は佐竹氏歴代の家譜の他に、家中の文書や系図の検討など多岐に及びます。元朝は自らも史料を調査し、意見を述べるなど、精力的に活動しています。

 

第2巻

 第2巻は元禄14年(1701)10月から同16年(1703)2月までを収録しています。元朝は元禄14年10月に秋田藩家老に任じられます。藩の中枢におりましたので、藩政に関する記事の他、赤穂事件に関する記述など、記載する内容がより豊富になります。元朝の日記から江戸時代中期についての多くの発見をしていただければと思います。

 

第3巻

 第3巻は元禄16年(1703)3月から同17年(1704)2月までを収録しています。この巻では元禄16年4月に秋田藩3代藩主佐竹義処の嫡子、義格が江戸城で5代将軍徳川綱吉に謁見(御目見得)しました。同年6月、参勤交代の帰途に佐竹義処が横手で病死し、義格がわずか10歳で家督を継いでいます。同年10月には幕府から国目付が派遣され、藩の監察を行いました。家老として幼い藩主を支えながら難題に取り組んだ元朝の姿をご覧ください。

 

第4巻

 第4巻は元禄17年(1704:同月に宝永と改元)3月から宝永2年(1705)6月までを収録しており、能代を中心とする大地震、藩主佐竹義格の初めてのお国入り、幕府から派遣された国目付の動きなどが記録されています。

 宝永元年4月には筆者の岡本元朝が家老として江戸に上り、幕府や他藩などとの折衝に当たる様子や江戸周辺を襲った洪水の様子などが記されています。また利根川新川の普請工事が秋田藩に課せられるなど、様々な出来事に元朝が対処しています。

 

第5巻

 第5巻は宝永2年(1705)7月から宝永4年(1707)3月までを収録しています。この巻では、筆者の岡本元朝が、大坂の陣に参加した佐竹氏一門の家来の他、当時の家老であった渋江政光・梅津憲忠の家来(陪臣)についても藩の記録に掲載することを決めた記事や、宝永3年正月、生類憐みの令に基づき、田畑を荒らす男鹿の鹿を大人数で追い払うことが幕府から許可されたことなど、多岐にわたる内容が記録されています。

 この巻の最初、宝永2年7月1日の記事には江戸幕府5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が亡くなった記事もあり、徐々に次の時代の足音が聞こえてくる様子がうかがえます。

 

第6巻

 第6巻は、宝永4年(1707)4月から宝永5年(1708)12月までを収録しています。この巻では、江戸時代の南海トラフを震源とする巨大地震として知られる宝永4年10月4日の宝永地震、同年11月23日に起きた富士山噴火という、日本史上屈指の大規模災害について、続々ともたらされる全国各地の被害の様子が、当時、秋田藩家老として江戸屋敷にいた岡本元朝自身が体験した地震や噴火、降灰などの様子とともに詳細に記録されています。