写真:木造十一面観音菩薩立像

木造十一面観音菩薩立像(円空作)〔もくぞうじゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう(えんくうさく)〕

本十一面観音菩薩立像は、男鹿市門前の赤神神社五社堂に所在する円空作の仏像である。
赤神神社は、貞観2(860)年に慈覚大師円仁によって赤神山日積寺(にっしゃくじ)として開山され、のち天台宗から真言宗に転宗し、明治初年の神仏分離により神社になったとされる。なお、五社堂は建保4(1216)年の造営である。円空は、寛永9(1632)年に美濃国で生まれた。のちに出家して天台密教を学び、寺院法度など幕府の統制によって仏教が本来果たすべき民衆救済の役割を失いつつある中で、十二万体の造仏を発願して遊行生活に入ったといわれる。北海道・東北地方への旅を始めたのは寛文5(1665)年ころで、寛文6(1666)年から翌年にかけて青森から北海道、ふたたび青森、秋田を巡ったと考えられる。寛文9(1669)年には中部地方での制作が確認されているが、円空についての文献史料が少なく、詳細は不明である。円空仏は、愛知県、岐阜県を中心に現在5,000躯を超える作品が確認されている。初期の作品は単純平明な穏やかさを基調としており、一般に円空仏として知られる荒々しく鑿痕を強調した奔放な作風を確立するのは、延宝2(1674)年ころと考えられる。本県では本像を含め8躯が現存しており、その様式から、いずれも寛文7(1667)年ころに制作されたものと推定される。本像は、水瓶を持ち踏割蓮華坐に立つ十一面観音菩薩立像である。シナノキの板材から彫りだされた一木造で、頭部正面に化仏(けぶつ)、頭頂の髻(もとどり) に仏面を戴き、九つの菩薩面を置く。長く弧を描いた眉や直線的に彫られた眼は円空仏の特徴とされ、人々を見守り、救済する十一面観音菩薩らしく、温かく柔らかな印象を与える。均整がとれ洗練された本像は、初期作品における到達点ともいえる完成度の高さを示している。さらに、保存状態が極めて良好で、白木の肌は鮮やかに鑿痕を伝えており、「円空さん」として親しまれる中で黒ずみ、すり減ったものが多い円空仏にあってはまれな作品といえる。本像は、円空の足跡や彫刻様式の変遷を示す史料であるとともに、彫刻の痕跡が明瞭にうかがえる、初期円空仏の代表的な作例として貴重である。

参考文献

井上豪「五社堂蔵・木造十一面観音立像調査報告」男鹿市教育委員会 平成18(2006)年2月