縄文時代の土面について

縄文時代の土面は人面を模した土製品で、精霊や祖霊を表したと考えられる。後期(約4000年前~)から晩期(約3000年前~)に作られたものが多い。

用途は、呪術師が儀礼や祭祀で用いた仮面とする説が有力である。仮面は、顔を覆う造形物を一般的にさすが、顔面につけずに頭の上あるいは胸や腹につけるものや、着用を目的としない顔的彫刻や造形物を含む。また発掘調査例では、北海道ママチ遺跡のように墓標にかけたり、岩手県八天遺跡のように副葬したりしたと考えられるものがある。なお土面は発掘調査による出土品が少なく、性格が特定できる例は限られる。

土面は、時期や地域によって形や装飾に違いがある。中でも、後期の部位形土面や、晩期の遮光器型土面、鼻曲がり土面、涙を流す土面が特徴的である。部位形土面は、鼻、口、耳を別々に作り、皮革、木、樹皮等の下地にはめたと想定され、岩手県でのみ出土している。遮光器型土面は、同時期の遮光器型土偶の顔に似ており、主に東北地方日本海側に分布する。鼻曲がり土面は鼻先が右または左に曲がる形状が、涙を流す土面は目から頬にかけて2~3本の線を描くのが特徴で、どちらも東北地方太平洋側で出土している。

秋田県では、これまでに6点の土面がみつかっている。いずれも晩期で、遮光器型土偶の顔に似たものが多い。現在、東京大学総合研究資料館が所蔵する麻生遺跡出土の土面は、昭和32年(1957)に重要文化財に指定されている。

縄文時代の土面は、縄文時代の儀礼、祭祀を考える上で貴重な資料である。また、全国約60遺跡から100点ほどの出土を数えるのみで、中でも今回対象とする戸平川遺跡、地方遺跡出土土面のように完全な形に近いものはさらに少なく、希少価値がある。

参考文献

  • 磯前順一『土偶と仮面・縄文社会の宗教構造』校倉書房 平成6年(1994)9月30日
  • 東北歴史博物館『東北地方の仮面-芸能と祈りのこころ-』平成12年(2000)10月7日
  • 春成秀爾「日本の先史仮面」『仮面-そのパワーとメッセージ-』里文出版 平成14年(2002)4月15日
  • 御所野縄文博物館『仮面展図録-鼻曲がり土面から世界の仮面-』平成18年(2006)11月

戸平川遺跡出土土面(とびらかわいせきしゅつどどめん) 平成24年3月23日指定

画像:戸平川遺跡出土土面(とびらかわいせきしゅつどどめん)
(秋田県立博物館蔵)

縄文時代晩期のものである。

写真左の土面は両目の横と鼻先を欠く。顔は、粘土を貼り付けた眉、鼻、頭髪と、沈線で描いた目、口で表現され、目は閉じているように見える。眉と鼻は一体で、鼻先が大きく作られる。

写真中央の土面は頭部と口の一部を欠く。顔は、粘土を貼り付けた目、眉、鼻、頭髪で表現される。鼻先が高く、目蓋や眉の刻みは、土器文様を取り入れている。

写真右の土面は目から鼻、口にかけて部分的に欠けている。顔は、粘土を貼り付けた目、眉、鼻、口、頭髪で表現される。眉と鼻は一体だったとみられる。眉の刻みは、土器文様を取り入れている。

戸平川遺跡(秋田市添川)は、晩期の墓域や墓域で利用したものなどを廃棄する捨て場がみつかった遺跡で、平成7~8年(1995~1996)に秋田県埋蔵文化財センターが調査した。本土面は、その際に捨て場から出土したものである。

参考文献

秋田県教育委員会『戸平川遺跡―東北横断自動車道秋田線建設事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書ⅩⅩⅣ―』秋田県文化財調査報告書第294集 平成12年(2000)3月

地方遺跡出土土面(じかたいせきしゅつどどめん) 平成24年3月23日指定

画像:地方遺跡出土土面(じかたいせきしゅつどどめん)
(秋田市教育委員会提供)

縄文時代晩期のものである。

右目の横から右頬を欠く。顔は、粘土を貼り付けた眉、鼻、頭髪と、沈線で描いた目、口で表現され、目は閉じているように見える。眉と鼻は一体で、鼻先が大きく作られる。口の両端と頬に細かな点が打たれている。眉の刻みや額と両頬の文様は、土器文様を取り入れている。

地方遺跡(秋田市四ツ小屋)は、晩期の墓域や墓域で使用したものなどを廃棄する捨て場がみつかった遺跡で、昭和61年(1986)に秋田市教育委員会が調査した。本土面は、その際に捨て場から出土したものである。

参考

平成22年(2010)3月2日 秋田市指定文化財「地方遺跡出土土面」

参考文献

秋田市教育委員会「地方遺跡」『秋田新都市開発整備事業関係埋蔵文化財報告書』昭和62年(1987)3月