若松堰の沿革

2013年12月02日 | コンテンツ番号 4885

若松堰は、仙北市田沢湖若松堰土地改良区が管理している頭首工で、秋田県仙北市田沢湖の神代地区を流れる玉川の「田沢湖抱返り県立自然公園」地域にあります。抱返り渓谷へのスタート地点に在る赤い吊り橋「神の岩橋」から上流側に眺めることが出来ます。 

この若松堰で堰上げされた水面や落下する水流は渓谷と一体化し、訪れた人々にとっては絶景ポイントとなって抱返り渓谷・遊歩道への期待を膨らませる存在となっています。取水口は右岸側にあり、約6kmの用水路により田沢湖神代卒田地域の水田64haを潤しています。現在の堰は昭和23~26年度の災害復旧事業により整備されたもので、その後も、災害復旧事業で復旧しながら今に至っていますが、老朽化による被災の心配や魚道が未整備なことと県立自然公園内に位置していることなどから、平成22年度に農業農村整備事業の地域用水環境整備事業地区として採択されました。平成25年度の完成に向け、今年度は全体実施設計や水利権、県立自然公園第二種特別地域での工作物許可の協議を取り纏めることとしています。この若松堰の開発や採択された事業計画について報告させて頂きます。

画像:若松堰頭首工

画像:幹線用水路

若松堰の開発

若松堰の開発は、1673年に当時の卒田村の門兵衛と荒川尻村の作兵衛が佐竹藩に注進して工事を請負い、玉川の抱返に堰を設け2箇所の隧道を掘り、1675年まで抱返村(1677年に若松新田村に改称)に至る一里半(約6km)の水路を完成したのが始まりとされています。以後、新田開発が進み1680年頃には100石あまりに増石しますが、その後に隧道の崩落や洪水による被災で荒廃が進み1686年には77石余りになり、さらに1687年の大洪水による堰の大破で、水田は荒れ地と化しました。
その時、荒川村の旧戸沢家臣進藤氏の子孫、作左衛門が佐竹藩に注進して復旧に着手し、以後開田は合わせて220石余りとなりました。この様に当地域は、若松堰により新田開発が進み、集落が形成されました。

画像:注書き

画像:若松堰位置図

土地改良区の歩み

明治44年に若松堰普通水利組合が設立され、神代村村長が管理者となって若松堰(頭首工)と用水路の維持管理が行われました。当時の若松堰は堰長27.3m、幅5.4mで木枠に土石を詰めた締切り構造で、幅4.24mの筏流しを設けていました。当時、木材は貴重な資源・資材であり「竹木川流の許可」を得て流木するものは妨げないことになっていました。
昭和24年に土地改良法が制定され、若松堰普通水利組合は昭和27年に神代村若松堰土地改良区となります。昭和31年には、生保内町神代村、田沢村が合併して田沢湖町となりましたが、改良区が田沢湖町神代若松堰に改名したのは、昭和38年となっています。そして平成17年の合併(角館町・田沢湖町・西木村)で仙北市が誕生したのを受け、平成19年に仙北市田沢湖町若松堰土地改良区に名称を変更し、現在に至っています。

若松堰の事業経歴

若松堰は毎年のように洪水被害を受け、普通水利組合では、その都度復旧して維持管理に努めていましたが、昭和4年に県の許可と三菱鉱業(株)からの寄付を受け、強固なコンクリート固定堰に改修しています。その竣工記念碑が、抱返神社境内にあります。(下の①写真 昭和4年11月3日建立)しかし、その後も、洪水の被害があり、復旧に莫大な労費を投じても、投じても水は不足して水田の荒廃が進みました。
その様な中で昭和23年のアイオン台風(台風第21号9月26日上陸)による被害は甚大で、同年度に災害復旧事業として採択され、堰堤、取水門、導水路を復旧整備して26年度に完了しています。頭首工は、堰長59m、堰高2.35mの構造はコンクリート固定堰で現在の姿となりました。長年の水不足を解消した災害復旧事業記念碑が②の写真です。(昭和26年11月3日建立)さらに、昭和29年に災害復旧事業で隧道の巻立を、昭和40年に災害復旧事業で堰堤を復旧し、現在に至っています。

画像:堰堤竣工記念碑
① 堰堤竣工記念碑
画像:災害復旧事業記念碑
② 災害復旧事業記念碑
画像:抱返神社
③ 抱返神社

画像:抱返神社の解説

貴重な若松堰の用水

先人が苦労を重ねて拓いた若松堰の用水は、大変貴重なものでありました。「仙北土地改良誌」には、昭和18年に面積37aの新規水利組合加入者に、金180円の寄付の他、「水量が著しく減少した場合は旧来の田地にかんがいして余水のある時でなければ分水することができない」とする条件を附していた記載があります。(昭和18年の180円は企業物価指数による推計ですが、今の約58,000円となります。また、当時の米価は18円42銭/60kgですから180円は約米10俵分にあたります。)

多摩川河水統制計画での扱い

食糧増産(国営田沢疎水開墾事業)と電源開発を両立させるため「玉川河水統制計画」が昭和12年に定められ、神代発電所の取水口より下流に位置する若松堰の取水量について、「自然水量不足の場合は、平均水量0.38m3/s、最大水量0.40 m3/s 、最小水量0.36 m3/s に達するまで神代発電所取水堰堤より放流すること」として、既設である若松堰の取水量が確保されました。(取水期間:5月10日~9月10日)

地域用水環境整備事業「若松堰地区」「卒田地区」の計画概要

若松堰(頭首工)は、仙北市田沢湖神代地内の1級河川雄物川水系玉川に位置する固定堰で、右岸取水された用水は、西側3kmに位置する受益地A=64haの水田にかんがいされています。本頭首工は、江戸時代に築造され、昭和23~26年度の災害復旧事業で改修後、昭和40年度にも災害復旧事業で補修が行われ、現在に至っています。この頭首工は、田沢湖抱返り県立自然公園内に位置し、訪れた方には抱返り神社を経て吊り橋「神の岩橋」から上流側に、絶景ポイントとして眺めることができます。しかし、頭首工本体の老朽化が著しく、水叩きの損壊が顕著にみられ、洪水時では堰自体が流出してしまう恐れがあることや魚道施設が未設置であることから、地域用水環境整備事業により自然公園の環境に配慮した改修を行い、農農業用水の安定供給や潤いと安らぎの場の提供、魚類の円滑な遡上など、多面的機能が十分に発揮される事業計画となっています。なお、当施設の地域用水環境整備事業は、地域用水環境整備型と魚道単独型で県負担率が異なることから同一施設でありながら、地区名をそれぞれ「若松堰地区」と「卒田地区」としています。

「若松堰地区」の事業概要

画像:若松堰地区の事業概要表

「卒田地区」の事業概要

画像:卒田地区の事業概要表

画像:地域用水環境整備事業 若松堰地区 ゾーニング図

画像:完成イメージ図

抱返渓谷

玉川の上流約10キロにわたって続く渓谷で、下流右岸の抱返り神社前には観光客や散策者のための駐車場が整備されています。抱返神社に沿って進むと神の吊り橋に出ます。ここから渓谷の上下流を眺め左岸に渡り、渓谷沿いに散策道が整備されています。両岸の原生林と渓谷の織りなす景観は誰もが感動すること請け合いです。特に勇壮な回顧(みかえり)の滝・青く神秘的な流水と突出する巫女石・茣蓙の石・岩を削っただけのトンネルを抜けて現れる期待を裏切らない絶景。そして田沢疏水を支える抱返頭首工を眺め、神代ダム、夏瀬温泉でゴールとなります。残念ながら、回顧の滝から上流の飯村少年殉難の碑から夏瀬橋までの区間が、現在通行禁止となっています。しかし、抱返り神社から飯村少年殉難の碑の区間で十分に感動的な景色を堪能できます。

画像:雨上がりの神の吊り橋
雨上がりの神の吊り橋 H22.8.17
画像:秋の神の吊り橋
秋の神の吊り橋 H22.11.18

若松堰土地改良区では、土地利用型農業の中核となる水田かんがい用水の安定供給と景観・魚類等の生態系保全機能の維持・改善を図る「地域用水環境整備事業」に大きな期待を持って、その社会的責任を担っていくこととしています。また、当事業完了後には、「ほ場整備事業」を取り組むべき話合いも進める意向でいます。
当課では、地域用水環境整備事業の採択年度として全体実施設計や水利権協議・県立自然公園第二種特別地域内での工事実施協議・23年度採択予定の「田沢二期地区」国営農業用水再編対策事業(地域用水機能増進型)による景観・親水機能増進計画との整合を図りながら、地元や県民に喜ばれる施設整備を進めることとしています。