折戸の北畠伝説(鹿角の伝説)

2009年12月17日 | コンテンツ番号 323

折戸の北畠伝説

 昔、鹿角を治めていた殿様が三戸にいたころ、三戸から鹿角に来る古い道を来満道(らいまんみち)と言っていた。この来満道を通って大湯に下りてくるところの場所が折戸である。この折戸には、土をたくさん盛り上げて作った古墳があり、古墳の上には、太い松ノ木が1本生えている。この古墳には、600年も昔の話が残っている。日本の国の南北朝時代、南朝と北朝に2人の天皇が存在し、南朝には北畠親房という大臣が仕えていた。その北畠親房から8代目の子どもに北畠具教(とものり)という人がいた。天正4年、北畠具教は全国統一した織田信長に滅ぼされてしまったが、孫の昌教(まさのり)は、母や家来たちに守られ、きびしい敵の追手を逃れ、都の本願寺にかくまれて住んだ。一方、具教の家来であった井上専正(いのうえせんしょう)という人は、戦に負けた後、顕如上人(けんぎょしょうにん)という和尚さんの弟子になり、りっぱな和尚になった。そして、鹿角市花輪に来て専正寺という寺を建てた。専正寺を建てた専正は、都に隠れ住んでいた北畠昌教を連れてきて、人里離れた大湯の折戸に迎え、そこで暮らせるようにしてやった。

 北畠昌教は折戸氏を名のり、その子孫も代々、折戸に住むようになったが、死ぬまえに、「子孫は代々折戸氏を名乗ること。」「他家の家来になってはいけない。」という2つのことを言い残した。その昌教の墓として残っているのが、太い大きな松の木がある古墳である。

 この古墳の南側には、今まで折戸に住んでいた人たちのお墓があり、その墓の真ん中ほどに大きな山桜があって、その木は蔦江姫桜(つたえひめざくら)と呼ばれている。

 これは、伊勢の国から昌教を慕ってついてきた蔦江姫という姫が死んだ後、墓のしるしに植えられたものといわれている。