皮投岳物語(鹿角の伝説)

2009年12月17日 | コンテンツ番号 320

皮投岳(かわなげだけ)物語

 昔、あるとき、鹿角市花輪の東の方角にある県境の山に、岩手県二戸から2人のマタギが狩りにやって来た。その日は、晴れており空も澄みわたり、鹿角の花輪盆地が広く遠くまで見える日であった。その日も狩りが終わり、2人は山の中の眺めの良い場所に腰を掛け、景色を眺めていた。2人のそばには何枚もの熊の皮が投げられて(置かれて)いた。2人は、狩猟のために何日も家を離れていたため、自分たちの二戸の家のことや残してきた妻子のことを考えていた。「俺たちの仕事は、二戸にいてもマタギの他に何かあるだろうか。」「熊を取って暮らすだけだ。」そう言いながら、あとは沈黙したまま、太い腕を組みながら山から見える鹿角の地をいつまでも眺めていた。

 そのうちに、太陽も既に西に傾いてきたため、2人は野宿の支度をした。その晩は、月夜の晩であり、二人はたきぎを焚いて寝った。2人が捕った熊の皮が月に明るく照らされていた。2人は夢を見ていた。その夢枕に立ったのは、二戸にいる妻と子供の顔であった。その内容は、何日も家を空けて帰ってこない夫への寂しさから、妻が化石になってしまうという悪い夢であった。この夢を見て、2人は体が固くなったようになり、びっくりして目を覚ました。

「不思議なことがあるものだ。今まで一度もこのような夢は見たことがなかったのに、妻のことを心配しながら寝たら、化石になった妻の声が聞こえた。不思議なことだ。」

 2人とも同じ夢を見て、何かがあるような気がした。

 翌朝、2人は遠く景色を見ながら、「今までこの山に何度も登って来たが、こんなにすばらしく見晴らしが良かったことはなかったなあ。」「きらきら光って見えるあの川の付近を開拓して田畑にして住んだらどうだろうか。」と話した。

 2人は、この山から見える場所を開拓して住む気持ちを固めると、これまで捕った熊の毛皮をこの山へ投げて(捨てて)、郷里の二戸へ帰り、妻子を連れて再び鹿角に戻って来た。そして、それぞれ家を建てて住み、開墾し始めた。

 皮投岳のおこりは、マタギ達が山にたくさん熊の皮を投げたために、その名前がついたと言われる。 彼らは、最初に柴が生え木立のよいところを「柴平」と名付けて耕し、また、鏡のような沼を埋め立てて田にした。そこが「鏡田」という地名となり、鹿角の田はこの鏡田を最初として周りへ開けていったと言われている。

 このマタギの子孫は、代々開墾し、夏は田畑、冬は動物の皮を取って暮らした。しだいに部落ができていき、鹿角三百町と言われるまでになったとのことである。