「八幡平」の名の由来(鹿角の伝説)

2009年12月15日 | コンテンツ番号 310

「八幡平」の名の由来

 延暦16年(793年)、東北地方の蝦夷征伐の命令を朝廷から受けた征夷大将軍の坂上田村麻呂が、多数の軍を引き連れ東北地方を攻めてきた時代のことである。

 岩手山の山中では、そのころ大猛丸(おおたけまる)を大将とした蝦夷勢力がたてこもっていた。将軍は、この賊軍を征伐するため、家来の源太忠義(げんたただよし)、忠春(ただはる)の兄弟に、岩手山中の賊軍の様子を探るように命令した。命令された2人は八幡平の密林をくぐりぬけ、八幡平頂上付近の、敵が眺められる小高い山に登り敵を偵察した。この場所が、現在、源太森と呼ばれている場所である。

 この2人の偵察で敵の場所を知った将軍は、敵に総攻撃をかけて、敵の大将を討ち取り勝利を収めた。敗走した賊軍の兵たちは、登鬼盛(ときもり)を新大将に、鹿角で陣容を整えると、勢いを盛り返し、再び八幡平方面へ進攻していった。

 将軍は、再びこれを討ち滅ぼすため、源太兄弟を先鋒に岩手方面から八幡平へ進んだ。そのとき、将軍は、八幡平頂上付近で、瑠璃色のきれいな水をたたえた沼や美しい高山植物の花が咲いている場所を発見し、その美しさにおおいに感動した。そして、まるで神様が住んでいる場所のようだと思い、全ての兵を集めて戦の神様である八幡大菩薩に必勝祈願した。

 このことで、さらに勢いを得た官軍は賊軍を迎え撃ち、打ち破り、焼山付近へと敵を追撃した。そして、焼山の鬼ケ城付近において登鬼盛を打ち取り賊軍を滅亡させた。

 勝った将軍たちは、帰りに、再び八幡平の山頂に登り、八幡大菩薩に戦勝報告し、感謝のお参りをした。そして、将軍はこの山を八幡様への感謝をこめて「八幡平」とよぶことにした。

 これが現在の「八幡平」の名前の起こりであると言われている。