湯瀬ななかまどの由来(鹿角の伝説)

2009年12月16日 | コンテンツ番号 309

湯瀬ななかまどの由来

 今から900年以上まえ、平安時代に奥羽地方で前九年の役という戦が起こった。この戦で清原家衡(きよはらのいえひら)は都から攻めてきていた大将の源義家[八幡太郎義家]に敗れ、処刑された。清原の妻子は命が危なくなったため、数人の家来に守られながら湯瀬まで落ちのびてきた。一行が湯瀬の川のほとりを歩いていると、隠れ住むには丁度よい岩穴が7つ見つかり、一行はここで隠れて暮らすことにした。

 この落人の一行が雨露をしのぐにはやっとの広さの七つの岩穴の付近からは、朝夕には食べ物を煮炊きするかまどの火の煙が、ほそぼそと立ちのぼるのが見えた。この煙を見た人々は、そこを“ななかまど”と言うようになり、この細々とした煙を見て、「落人の悲しい運命のようだ。」と言う人もあり、見る人の涙を誘い、同情する人も出てきた。

 そのうちに、このことがうわさとなって広がり、方々から多くの人達が、この落人たちのことを見にくるようになった。それから間もなく、この気の毒な母子とその家来たち一行の姿が見えなくなった。村人たちは、落人たちがここにこれ以上長く居ると村の人に迷惑をかけることになると思い、出て行ったのではないかと、落人たちの気遣いに感心したとの話である。