掛魚まつりの由来

2015年04月01日 | コンテンツ番号 261

掛魚(かけよ)まつり

 毎年、2月4日立春の日、金浦山神社の社頭に繰り広げられる「掛魚」は、「タラまつり」「掛魚まつり」などと呼ばれて全国に紹介され、奇祭のひとつに数えられている。

 この掛魚がいつごろから行われてきたものであるかは確かな文献がなく明らかではないが、今から300年以上前の元禄年間から続いてきたものだと言い伝えられている。

 金浦はその昔、「木の浦」と呼ばれた天然の良港で、特に350年ほど前の寛永年間に越後の人によって新たに鱈漁法が伝えられてからは、金浦が鱈漁の本場となり、「金浦の鱈」は冬の味覚を代表する名物とされている。

 しかし、鱈漁の最盛期は真冬の1月から2月にかけてであり、この時期の日本海は、現在のように強力なエンジンを備えて大型化された漁船でさえも出漁を見合わせるほどの猛烈な風雪により大シケが続き、櫓(ろ)・櫂(かい)で操らねばならない昔の漁船は、わずかの晴れ間があると瀕死の親をさておいても出漁したものだと言われている。

写真:大シケの金浦漁港

 この時代は、気象観測も予測も不備で、「観天望気」という経験と感に頼らなければならず、その犠牲は大きく、特に元文3年12月29日(太陽暦で1738年2月17日)には一挙に86名の海死者が出、村に男性の大人が見られなくなったと伝えられている。

 こうして、命がけで水揚げした鱈も、その頃はお上(おかみ)に上納する重要な税(小物成)であって、そのような中で漁師たちは漁獲の一部を守護神に奉納して感謝を捧げ、さらに今後の海上安全と大漁を祈願する風習が自然発生的に行われ、それがやがて漁師全体、村全体の行事として一定の日に行われるようになり、さらにはそれぞれの魚体の大きさを誇示する要素が加わって祭化していったものだろうと思われる。

 もともとこの行事は、かつて漁師の多くが北向地区を中心に住んでいたことから、北向の神明社で行われていたようであるが、のちに現在の金浦山神社に移され、旧来どおり陰暦12月15日「年越」の前夜、宵祭に行事として行われていたが、近年は2月4日に行われている。

(金浦町資料より)

図:掛魚まつり


※記事作成年:平成17年