旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園〔きゅうあきたはんしゅさたけしべってい(じょしてい)ていえん〕
写真旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園 写真旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園2

 旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)は、佐竹氏の居城であった久保田城跡(千秋公園の北方約1kmに位置する。現在は周囲を住宅が取り囲んでいるが、かつては田園地帯が広がる風光明媚な景勝地であった。

 如斯亭は、3代藩主義処(よしずみ)が下賜した土地に家臣が整備した別荘を起源とするが、5代藩主義峰(よしみね)が狩猟の折の御休所とし、9代藩主義和(よしまさ)の時代(1775~1815)にほぼ現在の姿に庭園を整備して園内十五景を選ばせ、当初は得月亭と称されたその名を如斯亭と改めた。この頃から如斯亭は、藩の迎賓館申役割を果たすとともに文人墨客の交遊の場となり、佐竹氏の文化の表徴として多くの詩歌書画にうたわれるようになった。

 庭園は、久保田城搦手(からめて:裏門)のかつての景勝地に営まれ、遠く太平山系を望む。園内北東部の築山(つきやま)の峡谷から発する絶え間ない水流は、中島を配した園池(えんち)を経て茶室・清音亭(せいおんてい)の露地(ろじ)に至り、如斯亭の名前の由来となった『論語』の「逝者如斯夫、不舎昼夜(逝くものは斯くの如きか、昼夜をおかず)」を思わせる構成となっている。また、園路を回遊することで、奇岩の景石や灯籠、四季折々の植栽など様々な風景を楽しむことができる。また、名勝池田氏庭園や千秋公園の設計に携わり、近代造園の祖といわれる長岡安平は、「寛政頃完成し東山時代の構を伝えたと思われる東北では無二の名園」と絶賛したと伝えられている。

 本庭園は、周囲の山並みと築山が相応するなどの風土的特色をもち、旧秋田藩主佐竹氏のものとして現存する唯一の庭園で、東北地方の大名庭園や庭園文化を知る上で学術上・芸術上の価値が高い。

 また、近接する旧秋田藩主佐竹氏の居城久保田城跡(千秋公園)や菩提寺天徳寺と連関させて保存・活用することにより、藩政期秋田の文化や生活をより具体的に知ることのできる庭園としても極めて貴重である。

※園内十五景:藩校明徳館の儒者那珂通博(なか みちひろ)が選定
 清音亭、幽琴澗(ゆうきんかん)、星磋橋(せいさきょう)、渇虎石(かっこせき)、巨鼈島(きょべつとう)、弓字径(きゅうじけい)、玉鑑池(ぎょくかんち)、超雪渓(ちょうせっけい)、仁源泉(じんげんせん)、佩玉矼(はいぎょっこう)、観耕台(かんこうだい)、靄然軒(あいぜんけん)、紅霞洞(こうかどう)、清風嶺(せいふうれい)、夕陽坡(せきようは)の15か所